SEO対策/広告
ようこそ我が家へ
 

『タイ人』のソムチャイさんの『聞きタイ、知りタイ、わかりタイ』

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

タイ僧侶の托鉢

 「僧侶の托鉢は早朝にしか見えない風景ですが、人々は何を祈っているのでしょうか?家族全員が一緒に僧侶へ御飯をあげることはよくありました。となりさんは、托鉢のお坊さんへ御飯等をあげると天国へ行けると言いましたけれども。。タイ語勉強中」
                 monk-giving1.jpg

 タイ語勉強中さん、お便りありがとうございます。
 タイ僧侶の托鉢風景はお好きですか?
 筆者はとっても好きです。早朝、人々の生活活動が始まると、どの家庭も忙しい。しかし、外へ目をそらすと、未明の薄暗い中に黄色姿がゆっくりと歩いている。一直線で、安定な一歩一歩ずつ歩く。その黄色がなんとなく胸に温もりを感じてくる。
 人々はいそいそと道端へ行く。托鉢僧侶が通ってくるに間に合うようにと。両手はできたて御飯とおかず、お花と線香。。。
 そして、待っているタイミングが来ると、僧侶が前に立ち止ってくれる。その時、お上げする前、人々は祈りします。
 「お上げするものは命を支えるために、どうか、先祖様始め、有縁、無縁の祖霊様たち、苦しんでいる霊たち等、この供養を頂いて下さい、どうぞ永遠に幸せになるよう。。。。」と、祈り終えて、御飯、おかず、果物、お菓子、お花、線香とロウソク等を托鉢へ入れていく。
                          monk-giving2.jpg

 タイ人は托鉢が大好きです。幸せを感じるからです。毎日の始まるがこのような安らぎな気持ちができて、忙しい1日を迎える。だから、子供や子孫へ伝わりたい。子供連れの托鉢へあげることはよく見られる。
 筆者は小学校あがる前から両親に連れられ一緒に托鉢僧侶を待つに道端で立つことは高校までの日課でした。お線香と花束を渡す役。
 両親は毎朝4時から起き、御飯やおかずを準備して、5:30時頃には準備できて、椅子とおかず、御飯を運び出す。家から通り道までへ行く。これが終わってから、また供養を霊界の祖霊たちや、様々の不幸等で亡くなった御霊さまへ祈る。
 お水を容器から土へ流す。自分か家族の人々と一緒にひとさし指をその流す水が通して土へと流れるようにしながら、祈る。これが、施した供養は、その恵みを霊界の統べての御霊へあげる。幸せになるように祈ってあげる。
 このように、托鉢へ供養することは、「徳を積む」行為であり、不幸な万霊たちへ祈りである。
 この意味で、托鉢する僧侶は、命を支えるための御飯を貰うための行為ではありません。「俗の世の人々を救う」の為である。(人々が霊へ供養する機会を与える意味、の考え方)もちろん、物理的には、僧侶がその恵みで命を支えられた。それで、仏法勉強と実践を専念にできるため、働かなくてもいいように。日本のようなお坊さんとはちがいます。働かなくては食べられないような意味では。
 タイ僧侶は「職業」を持つことば禁じられる。戒律によるものです。
 
下の画像は、田舎の街で小学生は独り托鉢僧侶を待っている。合わせている両手の前、篭にバナナの葉っぱ包み料理がいっぱい入れてある。。。恐らく、親の変わりに今日は独りでやることになった。
 このような美しい風景と人々の美しい心が見える朝一番。。。
 

                     monk-giving3.jpg



筆者への質問等、直接メールをどうぞ。。。  
      jottermail@yahoo.com
スポンサーサイト

コメント


管理者にだけ表示を許可する
 

 

トラックバック

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。