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『タイ人』のソムチャイさんの『聞きタイ、知りタイ、わかりタイ』

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僧侶になられたプミポン国王

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「福岡親父。タイの男性が、一生に一度は僧侶にならなければならないと聞いたことがありました。国王もそうなられたことでしたと。何時、画像をみせて下さい」
 福岡親父さん、タイの男性が、一生に一度でも僧侶にならなければならないとは、強制的ではないですね。気持ちです。仏教徒ですから、釈迦様の教えを勉強しながら修行出来る人は、社会に「塾生な人間だと求められる」価値観があるのです。また、出家によっては、親に最高な孝行だと、タイ仏教徒国民が信じている。。。
 
 現国王は、即位したしばらく後に、29才の時は、御自らがこの習慣がいいことだと、仏教の教えと修行をされたく気持ちで決心され15日間を僧侶になられた。ワットラチャボピット寺に居られ、毎朝もちゃんと街へ托鉢に出られた。裸足で歩き回って国民からご飯とおかずを頂きました。

 昔、約100年余り前のラマ4世王も長い期間で僧侶生活された。

 以下の画像は、街へ托鉢された国王。下のが、お母様の王宮へ托鉢される。親に托鉢することは、親孝行で、天国へ行かれる機会を与えることに、タイ風習がそう信じている。このために、必ず実家へ行って托鉢や、供養をさせることです。

 
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タイ封建制?

 
「質問にょね、タイの歴史において「サクディナー制」がいまいちしっくりと理解できません。日本の封建制と大きく異なっていたということはわかりますがどういうものなのでしょうか?」
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 ヨーロッパに発祥した階級社会に主要階級は封建制を作り出した制度は、タイでの「サクディナー」とは、本質的に全然違います。

 サクディナー制度はスコータイ時代にはなかった。平和で裕福な社会のタイ人には最も自由で幸せな時代だった。

 次いでに来たアユタヤ時代は、スコータイ時代のヨム川の地域と違って、チャウプラヤー川を中心した広大な領域は何倍もの広さなので、従属平民は散らばっているため、まとまるには統一制が必要となった。また、国(国王)の収益を守るには、取り締まる役や制度と権力で納める方法等は必要性となった「サクディナー制度」が、となりのコーム(クメール)(=現代カンボジアの祖国)政治法から借りて新たに作り出したタイ版の制度となった。

 経済政策の目的と同時に国から外敵を守るため、緊急事態は平民を軍隊に即時変化できるように、タイの「サクディナー」制度が指導者と従服者のあり方の性格をも持つ。西洋の封建制の搾取と被搾取関係のようなものではない。

 サクディナー制度は、国王以下全国民のいかなる立場であっても、全員に土地を保有する権利を持たせる制度。階級をはっきりと区別できるためが本当の「土地の権利」制度であった。
「サクディナー」、言葉上の意味は「権利田」。アユタヤーのラマティボディ1世王により、当時のコーム王国から始めて導入した。トライローカナート王(治世西暦1448~1488年)時代に法制確立し、バンコク王朝のラマ7世王時代の1932年の民主革命によって廃止された。
 
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 当時タイ国民社会を始めて階級を創って、全国民が「サクディナー」(権利田)を持つことになった。王様以下の王族、公務員、軍隊、平民、奴隷は、総べて各々が「田=土地)を持つ「権利」があることの制令に従わなければならない。国王がこの制令に包含されない理由は、「国の主」であったためです。

 国王より、各々の地位によって名目的に贈る田地の面積で、その人の価値や社会的地位を表わし、犯罪を犯した時の刑量や賠償額の決定の基礎となるものである。

 権利田(サクディナー)は総べての人に与えられる。(土地=田の単位は「ライ」。1ライ=1600平方メートル)大臣クラスは10000ライ、王子は6000ライ、都市の知事は5000ライ、一般庶民は25ライ、奴隷は5ライ。

 しかし、実際にこの広大な面積の土地が与えられるではない。あくまでも「自分で開墾して利用可能な土地(畑になる)にした上で登録し、自己の所有地となし得る権利の限度」に示したものにすぎない。昔のタイはそれ程人口密度が少なく未開墾地が多かったわけであった。

シンハビールの事を知りたい

「ソムチャイさん;シンハビールの事を知りたいです。一回飲んだことがあった。印象的でした。日本のビールと比べると、かなり濃い味です。本当にビールを飲んだ感じ!今回のパーティーは特にタイビールのシンハビールに会うタイ料理ということは、非常に楽しそう。。タイファンより」
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 タイファンさん、ビアーシングにハマってしまったですか?
 本当に今度のパーティーは楽しそう!シンハビール輸入社「池光エンタープライズ」取締役、営業担当マネージャーの岸田さんがお見えになるといいですね。。。
 さて、タイビールの代表である「ビアーシング」のことについて見てみましょう。

 「シンハ」と言えばタイのビールの代名詞的存在であった。
ビールを飲むなら「ビアーシング」でなければ飲まない方がいい、と言うくらいの「常識」となった!
 タイ人は「ビアーシング」と呼んでいる。「シング」とは「獅子」を意味であって、語源はサンスクリット語である。英語に書くとサンスクリット語の発音のままで「SINGHA」となり、タイの言葉には尾語を切る風習であるため、単なる「シング」となる。
 現在、10億リットル の年間製産量を誇る単独トップ「ブンロート・ブリュワリー社」は、70年前から生まれた。歴史があってのブランドとして全世界40数カ国へ輸出している。 
 同会社でのシンハ・ビールの外に「ビアー・リオー」、「ビアー・タイ」と高級銘柄の「クロスタービアー」がある。また、日本ビールの「薄め」な味の好みに合わせて、アサヒビールを対抗する新製品が「シング・ライト」が最近誕生した。。。
 ビアー・シングの仲間は「シング・ラガー」、「シング・ゴールド」、「シング・ドラフト」それぞれのアルコール成分強弱違いと味の微妙な違いがある。
 また、飲料水の「ナム・シング」と水割り用のソーダ「ソーダ・シング」も同社で製産。

 昔タイ社会の職業に対する価値観は、諺にもなっている「商業は官僚に勝ることはない」であった。国家公務員は、大昔から「国王へ奉る」(日本で神様へ奉るような意味)からの習慣であった。今でもその価値観が完全に無くしたことではないが、昔程ではなかった。
 ラマ6世王時代当時のタイ最も古い財閥家系でありながら、代々と継続してきた国家公務員職を持つ「セーッタブット家」の主人は、文学的な専門(詩、歌)であった。詩を詠まれる愛好家としての王様の顧問に勤め、大変お気に入れられ「プラ」称号(最高級ランク)と「ピロムパックディー」(=娯楽随喜の意味)の名称に命じられ、「プラ・ピロムパックディー」となった。2代目の「ピロムパックディー」はやっぱり父親の足跡について、「プラヤー・ピロムパックディー」とされ、文学の権威者で信用され教師と選ばれた。その優秀な能力で当時の文部省の事務次官試験に優位であるにも関わらず、教師を止めて入省に反対された。自分の将来をもっと自由になりたかったため、自ら教師を辞めて民間の製材所の英語レスポンス担当者として入社した。このように、プライドが高い家系の人は、社会に尊敬された「国家公務員職」を捨てて、民間の商業者へ転向することは、当時の「破天荒」的で、非常に社会にインパクトを与えた。
 プラヤー・ピロムパックディーは事業家としての知識と能力を向上しながら秘かに経営者となる夢を抱いた。
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 そして、木材会社、公共機関の水上バス会社等を経て、タイ始めてのビール製産社を起業しようとした。
 ビール醸造社を起業申請された当時の政府は、非常に大きな問題を対面となった。仏教国としたタイは歴史になかった始めてのアールコール飲料製産企業を許可する検討が難しかった。内閣の賛否両論で揉めたことも多かった。しかし、家系の信頼性と本人の能力で揉めた末に「起業許可」がおりた。
 
 当時のバンコク郊外であった「バン.クラブー」区のチャウプラヤー川沿いに「ブンロード社」が起業登録資金は60万バーツで、1934年に始まった。当時の60万バーツは非常に大きかったので、全国的に話題となった。この資金額が現在まで変わらない継続している。。。 
 ビール製産が成功で始めて公衆へ発表するため、当時の「国民協会」のパーティーに生ビール試飲会を開いた。あの試飲会で爆発的に口コミが全国へ広がり、全タイ国民がビール発売の日を首長く待っていた。
 1934年7月7日、タイで始めてビール発売を、1本32スターング(1バーツ=100スターング、当時は高価な飲料であった。)で、色んな銘柄があった。凧ラベル、暁寺院のパゴダラベル、カギラベル、汽車ラベルと熊ラベル。中に「獅子」ラベルが一番人気だった。会社の製造政策もそれを合わせて、獅子ラベルだけを残り、他ラベルを段々と1個ずつ製産停止した。
 シングビールは国の工業の歴史を始まったことにもなった。初代ビール社長となったプラヤー・ピロムパックディーは、将来のために子供をドイツへビール専門に留学させた。1950年亡くなられた。
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 現在は「シンハビール」社運営陳3代目となった。始めてタイバンコクに「ビアーホール」を始めたり、バンコクグラス社へ投資したり、飲料水瓶の蓋製造会社や、銀行各社等幅広い分野の会社と提携、起業回収等に展開した。

 70年あまりの歴史で時たまには、他社のビールメーカーは現われ、市場奪い商戦にどんなに「ビアーシング」へ挑戦しても成功したものは未だなかった !
 これで、ブンロード社の宣伝に使われたモットーにまさしく「タイビールはシンハ・ビール」である!
 
 さて、ここからは!、御褒美としてビアシングのカレンダーをお見せて頂きます!
 ビアーシングは、業界リーダーともなった「グラビアカレンダー」の発行したこと。毎年ビアーシングのカレンダーは、人気女優、タレント等の有名人な芸能人女性をモデルに起用して、必ず話題となる!限定版なので、十数年から「ビアーシング・カレンダーファン」たちは非常に有り難くて、重宝するカレンダーです。


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日帰り旅行はどこがいい?


 「バンコク往復切符を賞品として頂きました。3日間切符ですが、出発と帰り日を含めて結局一日しかないです。どこを見ればいいですか?日帰りしかないですね。ペンネームは「タイ始めて」」

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 「タイ始めて」さん、バンコク切符当たっておめでとうございます!
 出発便は何時か分からないが、成田発が早朝だったら、バンコク着後は未だ市内のショッピングセンターやナイトスポット等へ行けば屋台料理や、ライブシアター、スワンフムナイトバザー、タニヤ街、カウサ-ンロード等が行けます。翌日丸一日は、古都アユタヤー遺跡か、ダムナンサドアック・水上マーケットとタイの仏教起点地「ナコンパトム」、カンチャナブリ県と戦争架ける橋等。
 これらは現地の旅行会社は毎日朝出発夕方はバンコク帰る一日旅行が安いですので、ホテルのフロントでも情報誌があると思います。貸しきりタクシーでも一日は大体五千円から一万円で行ける。信用できる(保証がある)ホテルのリムジンは安心です。ちょっと高いかも知れないが、2万円は超えないでしょう。旅行プランして、夕方はどこか美味しい、有名なレストランへ送って貰ってもいいでしょう。
 タイ古典舞踊ショウ-があってのタイ料理「カントーク」セットでもいいですね。
 前もって、情報誌を調べて書き残した方がいいですね。現地入ればプラン通りにホテルのタクシーを利用すれば、便利です。なお、安全性のためにちゃんとしたホテルのタクシーをお勧めします。

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